エッシャー「ライデン」トリックアート

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エッシャーライデン

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エッシャーの作品はどれも教科書などで多く取り上げられるため有名なものばかりです。


マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898年6月17日 - 1972年3月27日)はウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの版画製作でよく知られたオランダの画家(版画家)である。エッシャーは建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた。


モザイク模様の研究
1937年、エッシャーはベルギーに移った。1934年5月13日に2回目のアルハンブラ宮殿訪問をはたした。エッシャーは妻と共に宮殿の洗練された模様の膨大なスケッチをとり、ホテルで彩色した。旅行を終えた後、エッシャーは結晶学者であった兄のB.G.エッシャーに『結晶学時報』を読んでみるように勧められた。『結晶学時報』には繰り返し模様に関する論文が掲載されており、エッシャーはその雑誌で平面を同じ図形で埋める方法(平面充填)を研究した。特にジョージ・ポリアの論文には17種類もに及ぶ繰り返し模様の具体例が掲載されておりエッシャーを大いに刺激した。1937年からエッシャーは平面の正則分割に関する「素人理論」に関するノートをまとめ始めた。1958年には愛好家に向けてエッシャーは『平面の正則分割』をだして自分自身で纏め上げた理論を分かりやすく説明している。


エッシャー的世界の展開
アルハンブラ宮殿の再訪以来エッシャーの作風は一変する。それまでは風景画が作品の中心を占めていたが、数学的な趣向の強い、同じ時代のどんな種類の作家にも見られない特有な世界をつくりだす。エッシャーはジグソーパズルのように平面を黒と白の模様で埋め尽くす手法を使い『メタモルフォーシスI』、『昼と夜』、『循環』などを制作した。しかしエッシャーの父親は彼の新しい作品を理解することなく亡くなった。エッシャーは1950年代に入るとアメリカの2つの雑誌に紹介され、急速にアメリカの若者の支持を得ていった。エッシャー自身は自分の作品がアメリカの若者たちに熱狂的に受け入れられているのを距離を置いて見ていた。(エッシャーの作品が不可思議な世界を持っているからだろうか、麻薬を吸いながらエッシャーの絵を眺めるような若者もいた。また、エッシャーの作品中の植物が大麻ではないかと疑われたことすらある。もちろん大麻とは何の関係もなかった。)エッシャーは1950年にオランダ紙幣のデザインに取り組んだがその紙幣は発行されなかった。エッシャーは多くの地質学者と交流を持つようになった。1955年、エッシャーはヒルフェルスム文化賞を受賞した。現在良く知られている作品『凸面と凹面』(1955年)、『物見の塔』(1958年)、『円の極限IV』(1960年)、『上昇と下降』(1960年)、『滝』(1961年)、などがこの時期次々と生み出された。




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